さよなら、テルウェル。

2009年12月28日

ご存知でしょうか、テルウェル。

自衛隊演習場の南側にあるホームセンターですが、
残念なことに、今年いっぱいで閉店です。

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ここ、けっこう品揃えが良くて、しばらく贔屓にしていたんですが、
ロイヤルホームセンターができてから、めっきり足を運ぶ回数が減っていました。

思い起こせば、テルウェルができる前にも、そんなことが。

実籾街道沿いにあったドイトが便利だったのですが、テルウェルができて、そっちばかり行っていたら、ドイトは閉店。

どの店も特に不満があったわけではなく、単に人間の「新し物好き」な心理に左右されているだけな気がします。

もったいない話です。


とりあえず、買わなきゃと思っていた火災報知機が、相場より500円ほど安かったので買いました。
 

サ・ヨ・ナ・ラ、ぼくの階段・・・。(二段降り発祥の地)

 
先日の記事に書きました、「二段降り」を編み出したあの大階段、大型ブルドーザーが入り、ついに取り壊されました。(TOT)

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ワタクシの思い出の地が、またひとつ消えてなくなりました。


 祇園精舎の鐘の声

 諸行無常の響きあり

 沙羅双樹の花の色

 盛者必衰の理をあらわす

 おごれる人も久しからず

 ただ春の世の夢のごとし

 たけき者も遂には滅びぬ

 偏に風の前の塵に同じ


今はただ、北習志野駅の新たなる発展を祈ろう。合掌。
 

思い出の大階段 (二段降り発祥の地)

 
旧北習志野駅の駅舎がついに解体され、新駅舎の壁が見えてきました。

東口南大階段それとともに、東口南大階段の屋根が取り払われ、昔の面影を覗かせています。

以前はこの写真のように、階段に屋根はなくて、手すりの赤い鋼鉄部分はセメントが塗られていました。

階段の下の店もありませんでした。

歩道橋もありませんでしたし、バス停の位置も、駅前ロータリーの形状も違っていました。

駅前ロータリーが変更され、一般車用のレーンができた頃だと思いますが、下の写真のように、屋根がつけられました。

ここはワタクシにとって思い出の地。

中学3年の春、上の写真のようにうららかな晴天のとある日に、この階段で
二段降り」を編み出しました。

東口南大階段「二段降り」というのは階段を1段ずつ飛ばして駆け降りることです。
昭和52年当時、そんなせわしないことをしている人はいませんでしたので、おそらくワタクシが最初です。

この階段、段差がやや小幅で、1段ずつ降りていると時間がかかるんですね。
体が成長してきて、体力もあり余っている若造は、そこで考えたわけです。

「登るときは1段飛ばし、中には2段飛ばしで駆け上がる人もいるというのに、
降りるときは1段ずつ。 降りる時だって、やればできるんじゃないか?」



この日はクラスの同じ班の子から班日記を受け取る約束で、駅で待ち合わせていました。
たぶん日曜日。当時、土曜日は学校、ありましたよね。半日。

余談ですが、昭和52年には七林中・芝山中が開校、わが習台中からそちらに移った子もいましたが、3年生は希望次第で移らなくてもよい、ということで、当然誰も移りませんでした。

そんなことで、西習志野1丁目・高根木戸駅すぐのところに住んでいる子も習台中に通って
いましたので、中間にある駅で待ち合わせた、というわけです。

ところがその子が遅刻。
当時はケータイなんてありませんから。「来るまで待つ」が基本です。
暇を持て余したワタクシ、先ほどの考えを実行に移しました。


・・たぶん、30分程度で満足の行く動きを体得しました。
でもその子はまだ来ない。

で、調子に乗って「三段降り」にも挑戦。
・・できませんでした。

三段降りになると、足の感覚だけで降りることが困難になります。
どうしても着地すべき段を目で捉え、そこに重心が行くように体の動きをコントロールする
必要が出てきます。

そのため、スローモーションのように降りることならできますが、
すばやく降りるためには、かなりの動体視力が必要になります。
こりゃ転げ落ちて怪我するな、と判断し、断念しました。
それより二段降りを磨いたほうが、現実的に素速く降りられます。

でその子、1時間遅れて到着。
班ノートとともに、松葉杖を持って現れました。

約束の直前に怪我して病院に行き、戻ってうちに電話したけど、ワタクシは出たあとだった、
とのこと。
ワタクシが悪いわけじゃないけど、ノート1冊のために怪我を押して出てきてくれたわけで、
なんか悪い気がして、とても「2段降り」完成を自慢できる空気ではありませんでした。

でも、この日のまとまった練習のおかげで、その後転げ落ちることもなく、
サンダル履きでも実践できる安定性を得る基礎になったと思っています。


その後も、学校の階段などで実践することはありましたが、
「なに今の?」とたまに言われる程度で、普及しませんでした。が、

蒲田の専門学校に通うようになり、品川駅の横須賀線の階段ほか都内各所で頻繁に実践
しているうちに、できる人を見かけるようになって来ました。やはり都内は急ぐ人が
多いからなのでしょうな。

最近は歳のせいもあり、群集の先陣を切って走ることがなくなりましたので、逆に見かけなく
なりましたが、きっと急ぐ人たちの先頭にはいまも実践者がいることでしょう・・。


そんな思い出深い階段です。

なくなるのかな。それとも再利用かな。
ひっそりと見つめていきたいと思います。

 

新京成CiaO 11月号 新京成電鉄・開通の歴史

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CiaO、もらってきました。2009年11月号。

戦後、旧日本軍の鉄道連隊演習線を利用して開通した新京成電鉄。
その開通当時の車両の写真が載っています。

ドアに取っ手がついている「鎌ヶ谷初富」行きの車両。
背景に初代新津田沼駅というこの写真は、なかなか趣き深いです。

駅舎の向こう側に見える看板広告も、車両の窓から顔を出す学生さんとおぼしき人の姿も、時代を感じさせます。


昭和27年ごろの習志野原の風景写真もあります。
江戸時代、徳川幕府によってこの地は馬牧として利用されていました。
いまは見る陰もありませんが、この頃まではその面影が残っていたようです。

ワタクシが小学生の頃、昭和40年代後半には、すでに団地や住宅が立ち並んでいましたが、空き地に立つ松の木や牛小屋などの面影がかろうじて残っていたことを思い出します。


そのほか、沿線のラーメン屋さんとのタイアップ企画のスタンプラリーで、
新京成グッズがもらえます。

鉄ちゃん・鉄子にはたまらない1冊ですよこれは。
欲しい人は、新京成各駅へ、Go!