昔日の津田沼

2008年11月20日

ワタクシがはじめて津田沼の地に降り立ったのは、小学校2年生の頃、おそらく昭和46年(1971年)だと思います。

その頃の津田沼は今と大違いでなんにもない町でした。
国鉄津田沼駅の南側は千葉工大のみで、あとは畑と空き地だけだったと思います。

子供だったのでよく憶えていませんが、ちょうど駅舎の改装を含めた北口の再開発中だったかも知れません。
想像では、快速線を通すためのホームの拡充と北側への拡幅、それに伴う近隣商店の立ち退き・移転なども含んだ大規模工事をしていたのではないかと思います。

現在の北口は立派なロータリーの上にペデストリアンデッキがかけられていますが、当時その辺りはバラック造りの店舗が20件ほど立ち並んでいました。
子供なので、ただ汚くて埃っぽいとしか映りませんでしたが。
ただ、バラックの右側、そう、現在本屋さんが入っているビルのあたりには5〜6件の店舗がアーケードを構成していました。(パン屋?、和菓子屋?、床屋?、本屋?、記憶に自信なし!)
おそらくその道路は現在の三菱東京UFJ銀行の脇道そして新京成の踏切へとまっすぐ向かっていたのではないか、と思える角度でした。
そしてその店舗の端には、昔の町並みによくある商店街入口のアーチがかかっていて、アーチを抜けると右方向に新京成の新津田沼駅が見えました。

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昭和49年(1974年)の国鉄津田沼駅周辺 : 国土交通省国土計画局より
ロータリーがごちゃごちゃしている。新京成方向に緑のアーケード屋根が見える。


新津田沼駅は過去に何度か移転を繰り返したそうですが、その当時すでに現在の場所にありました。
ありましたが、今のように大型店に囲まれ立派に見える駅ではなく、バラックに近い駅舎でした。
ただ、新京成の他の駅にはない、地下通路を持った駅でした。
(あ、いまは新鎌ヶ谷駅だけ、ですね。やがてなくなりそうですが。)

ホームそのものは現在もほぼそのまま使われていますが、下りホームの階段は2階ではなく地下へ向かい、上りホーム側にあった改札を通って外に出ていました。
昭和50年代後半くらいになると思いますが、イトーヨーカドーができるにあたって2階駅舎に変更され、地下通路は埋められました。

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昭和49年(1974年)の新京成電鉄 新津田沼駅周辺 : 国土交通省国土計画局より
現在のヨーカドーの位置に駅舎がある。区画整理がはじまったがまだ空地が多い。


話を昭和46年に戻しましょう。
アーチを抜け、新京成の線路近くを新津田沼駅に向かうと、右手には鉄道の操車場のようなものがあり、引込み線が延びていました。
現在のミーナ(元丸井)のあたりには車両がすっぽり入る、大きな屋根の赤茶けた整備工場のようなものがあって、その向こう側がどうなっているかは新京成に乗り換えるだけの人には知る由もありませんでした。

tudasanpo.jpg昭和50年ごろ、6年生になったワタクシ、冒険心で北習志野から歩いて津田沼まで来たことがありましたが、その時点でも現在の大型店はひとつもなかったように思います。

現在のみずほ信託銀行のあたりになるかと思いますが、「サンポー」という3階建てくらいのスーパー(雑貨屋?)がぽつんとあり、そこのトイレを拝借したあと、屋上のガチャガチャでスーパーボールを買ったことを憶えています。
船橋のシャポーと名前が似ていましたが、たぶん別物です。

昭和51年、中1のときに電気好きの友人と秋葉原に行った帰り、上りホームで電車待ちをしていました。振り返るとホームの背後はコンクリートの棒でできた柵で、その向こうは空き地でした。そこは後にイトーヨーカドー、さらには丸井が建つ場所で、あの大きな屋根の整備工場は消えてなくなっていました。

イオンがある側は、新京成の車両基地のようなものが建っていたと思いますが、記憶が定かではありません。
基地のようなものがなくなった後、駐車場になったり、屋内スキー場になったりしてからイオンができています。
そういえば踏み切りの脇にボウリング場(津田沼ファミリーレーン)がありましたね。
いまはマンションに建て替わっていますが・・。

あらためて現在の津田沼を見ると、我ながら古い人間だと実感します。


#記憶違いもあるかと思います。当時をご存知の方がご覧になられましたら、ぜひとも補足・訂正などコメントいただけますよう。m(__)m

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昔日の北習志野 その1

2008年11月1日

ワタクシ、小学1年生のときにこの街に引っ越してきました。
東京・杉並区のアパートから、昭和44年・・・1969年の終わりごろ。
習志野台団地の12街区に入居しました。

12街区は出来たばかり(おそらく習志野台団地では最後発の着工・完成かと)でぴかぴか、3街区だってぜんぜん綺麗でした。
12街区の南側は遠くが見渡せるほどの空き地で、マンションが立ち並ぶまでは、自衛隊の落下傘部隊の降下訓練がよく見られたものです。

当時の北習志野駅の外階段に屋根はなく、改札から出て左、定期券売り場の窓口を過ぎると、青空が広がる踊り場(東口)でした。正面の歩道橋はもちろんなく、両サイドの階段も含め、コンクリートの分厚い手すりがついていました。
その正面に見える3棟のマンションと階下の駅前商店街(現在のYELL(エール)商店街)は今とあまり変わらないいで立ちでしたが、その左手には「扇屋」と大きく書かれた看板が印象的なビルかありました。扇屋はずいぶん前になくなり、現在はマクドナルドや三井のリハウス、英会話のイーオン、パチンコ屋が入っています。
逆に右手を見ると、5階建てほどの高さの飛行場の管制塔のようなガラス張りの火の見やぐらが印象的な船橋東消防署がありました。いや、消防署はいまもあるのですが、火の見やぐらがなくなってしまいました。
耐震性や周辺の高層化に対応できなくなり、取り壊されたものと思われます。

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昭和49年(1974年)の北習志野駅周辺 : 国土交通省国土計画局より
ロータリーの配置が今と異なり2つに分けられていた。


一方、西口は一戸建てや畑が中心で、ヒロセ電機の習志野研究所ぐらいしか目立つ建物はありませんでしたが、現在はマンションが立ち並び、すっかり宅地化されています。
西口から2分も歩くと崖があり、飯山満川の水源があります。小学生の頃、手ですくって飲んだことがありました。
当時は崖下の飯山満川沿いには延々と田んぼが広がっていましたが、ここもびっしり宅地化されています。
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